東京地方裁判所 昭和47年(合わ)644号 判決 1974年3月13日
主文
1、被告人を懲役二〇年に処する。
2、未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入する。
3、押収もしくは東京地方検察庁外領置にかかる、
(1) 拳銃一丁および拳銃ホルダー一個(昭和四八年押第二九〇号の一二および三六)、
(2) 拳銃用実包四八発(同押号の五一、五五および六四。うち三発は試射ずみの薬きよう)、
(3) 鉄パイプ爆弾六個((イ)同押号の五三の管体および昭和四七年東京地方検察庁外領置第二、〇八四号の四の二の無煙火薬427.5グラム、(ロ)同押号の五四の管体および同領号の五の二の無煙火薬120.5グラム、(ハ)同押号の五八の管体および同領号の二四の二の無煙火薬375.3グラム、(ニ)同押号の五九の管体および同領号の二五の二の無煙火薬359.8グラム、(ホ)同押号の六〇の管体および同領号の二六の二の無煙火薬109.7グラムならびに(ヘ)同押号の六一の管体および同領号の三〇の二の無煙火薬一、139.8グラム)、
(4) ビニール袋入り無煙火薬五袋合計二、八八七グラム((イ)同領号の一四の二の六八〇グラム、(ロ)同領号の一五の二の一三九グラム、(ハ)同領号の一六の七九三グラム、(ニ)同領号の三四の二の五三五グラムおよび(ホ)同領号の三五の二の七四〇グラム
を没収する。
4、訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(被告人の略歴)
被告人は、当時東京市本郷区議会議長などを歴任したことのある亡父中岡実の二男として大正一四年一月八日東京都において出生し、都内の小、中学校を経て、昭和一七年立教大学予科商科に入学したが、同一九年六月一日在籍のまま宇都宮陸軍飛行学校に入学し、その後熊谷陸軍飛行学校に転属して同校を卒業後、同二〇年三月ころ仙台市所在の東部第五四〇部隊に配属され、同年五月の特攻隊編成の際には特攻隊員に編入されたが、同年八月終戦に伴い陸軍少尉に任ぜられたうえ復員した。その間被告人の学籍は、同年四月立教大学経済学部経済学科入学の扱いとなつていたので間もなく復学し、通訳のアルバイトなどをしながら通学していたが、同二三年四月ころ、米軍用飛行機で日本を密出国して米国に渡つたため、同年七月教立大学は被告人を学則により除籍した。米国に渡つた被告人は、サンフランシスコ市周辺の農場で日雇人夫などをして働き、同二五年九月ロスアンゼルス市のカリフオルニア大学演劇科に入学し、夜間アルバイトをしながら同二七年六月ころまで在学したが、その間の昭和二六年在学中知り合つた日系米国人加藤妙子(大正一〇年生)と婚姻し、引き続き同市に居住して映画関係、ゴルフ具の輸出等の事業を営み、昭和三二年には米国に移民として在住することを許可され、妻妙子との間に出生した三人の子供も成長して一応安定した生活を続けていたが、昭和四五年ころから事業不振に陥り、同四六年ころからは定職もなく細々と貴金属類のブローカーをし、主として教師として働く妻妙子の収入によつて生計を維持していた。
(本件犯行に至る経緯)
被告人は、たまたま昭和四六年一一月米国シアトル市で起つた現金二〇万ドルを強奪してパラシュートで逃亡したハイジャック事件を契機として、その後しばしば発生したハイジャック事件に強い興味をいだくようになり、新聞記事やハイジャックに関する心理学の本等を読みふけり、研究の結果、その多くは、資金不足等のため準備が不十分であつたり、計画が不徹底であつたり、また、共犯者がいる場合など身元が容易に割り出されていることなどが原因で失敗に帰していること等を知り、ついにはこれらの原因から逆にハイジャックに成功する方法を考えるようになつた。かくするうち、被告人はやがて自己の年令が五〇才を迎えるのを機会に何か大きなことをやつて人生の転機を作りたいと考えるようになり、そのため、かねて研究したハイジャツキングを犯して一獲千金を得、一財産を作ろうと企図し、綿密、周到な計画を立て、被告人単独で実行しようと決心するに至つた。そこでまず米国内におけるハイジャック対策の実際について検討したが、米国の各航空会社の警戒はきわめて厳重で、武器を携帯して航空機内に入ることはきわめて困難であることを知り、そのため同四七年八月に入つてロスアンゼルスおよびサンフランシスコ空港の日本航空株式会社(以下日航という。)の事務所の下調べ等をした結果、日航では特に厳しい所持品検査などもしていないことが分り、なお米国内においては、身元を偽わつて旅客機に搭乗するために必要な旅券の偽造等に多額の資金を要することから、同月中旬ころには、ハイジャックの件数も少なく、特に旅客機に搭乗するために身分証明書も必要とせず、所持品等の検査も簡単と思われ、会社の経営規模、収益からみて二〇〇万ドル位は容易に準備できると考えられる日航の国内線、さらに具体的には、飛行時間が比較的長く、顔見知りの者に遭遇するおそれがないと思われる日航東京・福岡線の定期旅客機を狙うべきであると考えるに至り、その方法としては、自らは氏名を詐り、変装するなどして証拠を残さぬようにし、拳銃、鉄パイプ爆弾等で乗組員を脅迫するなどして、航空機を乗つ取るとともに、現金を強奪し、その後航空機をバンクーバー、メキシコシテイ等を経由してキューバに着陸させ、キューバ当局と交渉して奪取金員の使用を許して貰うか、あるいは米国内にパラシュートで降下して奪取金員を携帯して逃走するとの計画を立てた。
被告人は、右の計画を実行するため直ちに準備にとりかかり、同年九月ころから同年一〇月ころにかけて、手持金のほか妻名義での借金等により約九、〇〇〇ドルの資金を用意し、同年九月から一〇月下旬にかけて、ロスアンゼルス市内や近郊、あるいはサンフランシスコ市内の運動具店、銃火器中古専門店、薬品店、スーパーマーケットなどにおいて、火薬類等の運搬に使用する黒色ショルダーバッグ一個(昭和四八年押第二九〇号の二六)、変装用のゴム製覆面(仮面、同押号の三九)、めがね(同押号の四四)、男物かつら(同押号の二五)、つけひげ一式(同押号の四六)、つけひげの接着剤(同押号の四七)および同除液(同押号の四八)、かねて入手しておいた偽造自動車運転免許証(同押号の一八)を使用して拳銃一丁(ターキー三八口径オート七一三五二六八、同押号の一二)および拳銃ホルダー一個(同押号の三六)、拳銃用実包五〇発、手製爆弾の製造に使用する小銃用、散弾銃用および拳銃用の無煙火薬一ポンド入合計約一一缶、万力用金具二個(同押号の二七)、黒ビニールテープ一巻(同押号の三四のうち)等、導火線を作るための綿、硝酸、硫酸、銅線一巻(同押号の二八のうち)およびタバコ(同押号の四九はその一部)、逃亡用のパラシュート一組(同押号の三〇)、降下後パラシュートを埋めて隠すためのスコップ一個、指紋を残さないためのゴム手袋(同押号の三七)、右火薬を詰め分けて運ぶなどのためのビニール袋、パラシュートを入れ、税関にとがめられた場合には登山に使うと弁解するつもりで背負子用ザック一個(同押号の一)等々を順次購入し、百科事典や雑誌等で得た知識をもとに、同年一〇月上旬自宅で導火線用の硝化綿(引火綿、ガンコットン)を作り、同月二一日ころには、近郊の砂漠で右硝化綿の引火状況や前記の火薬をより強力であるとされる割合によつて混合のうえ実験してその爆発力を確かめ、拳銃も二発試射してみるなどして準備を整え、同月二五日から翌二六日にかけて自宅で、右火薬をビニール袋に詰め分けて靴下に入れたうえ、前記スコップは荷造りの都合上持参せず、日本到着後購入することにしたほかは、準備した右武器等を、大型の水色スーツケース一個(同押号の二九)、前記ショルダーバッグ、青色手さげかばん一個(同押号の一三)に分け入れて荷造りをし、同月二八日午前〇時三〇分、これや現金約一、〇〇〇ドルを携え、パンアメリカン航空機に搭乗してロスアンゼルス空港を出発した。
被告人は、途中ハワイで二泊したのち、同月三一日午後三時四〇分ころ、日航七一便で、ハワイのホノルル空港から東京都大田区羽田空港一丁目所在東京国際空港(以下羽田空港という。)に到着し、右拳銃、火薬等を発見されることなく通関等の手続をすませ、いつたん同空港内の羽田東急ホテルに赴き、「ナカオカ・T・ポール」の名前で四五一号室に入つたのち、同日午後七時二〇分ころ、前記スーツケース一個、ショルダーバッグ一個、手さげかばん一個を携えて右ホテルを出て、同日午後八時四〇分羽田空港発福岡行き日航機に「カトウセイイチ」と氏名を詐称して搭乗し、機内でスチュワーデスの勤務状況、行動等を仔細に観察しながら福岡に行き、同夜は、福岡市中央区大名二丁目所在株式会社西鉄グランドホテル一、一五三号室に「杉並区上高井戸三丁目二一三九番地日本貿易株式会社高橋政次」と氏名を詐称して投宿した。被告人は、翌一一月一日、ハイジャッキングに使用する爆弾を製造するために必要な諸用具、その他の諸材料を整えるため、同市内の配管機材販売店、文房具店などで、鉄パイプ爆弾製造用の長ニップル(鉄管)、チーズ、キャップおよびプラグ計二八個、ヤスリ一本(同押号の三五)、針金一巻(同押号の二八のうち)、黒色のスプレーラッカー一個、パラシュートで降下後これを埋めて犯跡隠ぺいするためのスコップ一丁(同押号の三一)、脅迫文書を作成するための黄色の用紙の入つたペーパーホルダー一冊、赤および黒色マジックインキ各一個、ノリ一個、白ビニールテープ一巻(同押号の三四のうち)、その他タコ糸一巻、針一本等を買い求め、さらに同市内の水道設備工事会社に赴いて右ニップル等に所要の穴をあけて貰つたうえ、翌二日右ホテル一、一五三号室において、これら鉄ニップル類や米国から搬入した無煙火薬、硝火綿等を使用し、いずれも、鉄ニップルを容器としてその中に無煙火薬を入れ、両端にキャップを取り付け、前記ラッラーで黒色に塗装し、硝化綿でできた手製の導火線を装着した構造の、(1)直径約4.9センチメートル、長さ約14.5センチメートル、管体重量約七七〇グラム、火薬量約一三二グラムのもの(以下甲爆弾という。同押号の五二は管体の破片)、(2)直径約7.6センチメートル、長さ約17.0センチメートル、管体重量約一、九〇〇グラム、火薬量約四三二グラムで、キャップ上端の導火線の上に小型ロータリースイツチおよびビニール被覆線を取り付けたもの(以下乙爆弾という。同押号の五三は管体、昭和四七年東京地方検察庁外領置第二、〇八四号の四の二は残存火薬427.5グラム、以下単に同領号と記載する。)、(3)直径約4.9センチメートル、長さ約14.8センチメートル、管体重量約七八〇グラム、火薬量約一二九グラムのもの(以下丙爆弾という。同押号の五四は管体、同領号の五の二は残存火薬120.5グラム)、(4)直径約4.9センチメートル、長さ約32.0センチメートル、管体重量約一、八八〇グラム、火薬量約三八一グラムのもの(同押号の五八は管体、同領号の二四の二は残存火薬375.3グラム)、(5)直径約4.9センチメートル、長さ約31.5センチメートル、管体重量約一、九〇〇グラム、火薬量約三六五グラムのもの(同押号の五九は管体、同領号の二五の二は残存火薬359.8グラム)、(6)直径約4.9センチメートル、長さ約15.0センチメートル、管体重量約七六〇グラム、火薬量約一一九グラムのもの(同押号の六〇は管体、同領号の二六の二は残存火薬109.7グラム)、(7)直径約7.6センチメートル、長さ約38.5センチメートル、管体重量約五、〇〇〇グラム、火薬量約一、一五四グラムのもの(同押号の六一は管体、同領号の三〇の二は残存火薬1,139.8グラム)の合計七個の導火線点火式手製鉄パイプ爆弾および前記紙巻きタバコ六本を針金を通してつなぎ、これに硝化綿を付けた導火線六本(同押号の六六は硝化綿を焼却処分した残余のもの)をそれぞれ作り上げ、前記二色のマジックインキで、前記黄色の用紙六枚に、「我々は、ここに、この航空機をハイジャックする。我々は、それぞれ一キロ爆弾四個、三キロ爆弾二個とピストルを持つている。また、一〇キロ爆弾を二個、別々に、タイマーを仕掛け、荷物室に入れてある。爆発時刻は、ある時点で我々より通知する。我々は死を賭し、長い間準備してこの行動を決行しているので、万一、不成功に終つた場合は爆破して自爆するが、乗務員諸君および乗客方を巻き添えにすることを不本意とする。我々は政治活動の資金を必要として、次のことを要求する。一、金二〇〇万ドル(米ドル)。ただし、一〇〇ドル紙幣のみで二万枚、新しいものでなく使用されたもの。また、そろい番号や紙幣にマークしないこと。二、我々の目的地はキューバである。コースはバンクーバー市(カナダ)、メキシコ市で燃料補給し、キューバに政治亡命するものである。この二つの要求が入れられるならば、乗客全員およびスチュワーデスは、要求金および燃料補給され、我々がキューバに向つて飛び立つ前に、東京空港にて直ちに釈放する。機長およびクルーの交替は我々の条件下において、行われることもあり得る。しかし、絶対に日本航空の従業員も我々の許可なくして機に近寄ることは許されない。機長は直ちに日本航空にこの条件を通告し、我々の指示を待つてもらいたい。我々のこの行動を阻止する者は、何ん人と言えども射殺することはやぶさかでない。機長は冷静に行動し、乗客方を良くコントロールして無駄のけが人を出さないようにしてもらいたい。今、我々の政治団体の名は明らかにしない。いずれわかることであるから。対日本航空ハイジャック特別実行委員長」との記載のある文書を作成して前記ペーパーホルダーにはさむなどして、暴力的政治集団の威力を仮装し、かつ、拳銃および爆弾を兇器として日航機をハイジャックするための準備を完了した。
ところで、被告人は、ハイジャック決行の日を同年一一月八日と決めていたが、すでに爆弾等の準備も終つて気分も高ぶつてきたため、実行を同月四日に早めることとし、同月三日氏名を細川隆明三七才と詐称して翌四日早朝の日航羽田行き定期旅客便の予約をし、同四日予定より大分遅れて午前八時三〇分ころ福岡空港を出発した日航機に搭乗したが、出発前手荷物の重量超過料金を支払つた際係員に顔を見られたことや、右出発の遅れは爆弾の持込みが発覚したためではないかと極度に不安になつたうえ、同機操縦室のドアが施錠されていることを知り、当日は土曜日で銀行の営業時間が午前中であることから現金二〇〇万ドルの調達が困難であることなども考え、計画の実行を中止してそのまま羽田空港に到着して、同日は東京都港区高輪三丁目所在高輪プリンスホテルに「石川芳太郎」と氏名を詐称して宿泊し、翌五日、緊張も高まつているため、計画実行の日を米国の大統領選挙の日にあたる八日をさけて六日とすることとし、同ホテルロビーで日航の国内線時刻表を見て確認したうえ、かねてからねらつていた国外へも航行できる長距離用のDC八型機の就航している午前七時二〇分羽田発の福岡行きの日航機をハイジャックすることを決意した。
(罪となるべき事実)
被告人は、このようにして、暴力的政治集団の威力を仮装し、かつ拳銃および鉄パイプ爆弾等により機長ら乗組員を脅迫して日航定期旅客機の運航を支配したうえ、乗客および乗組員をいわゆる人質として日航役員らを脅迫して現金二〇〇万ドル(米ドル)を強取しようと企て、
第一 (一) 昭和四七年一一月六日午前五時三二分ころ前記プリンスホテルを出て、同日午前六時過ぎころ羽田空港に至り、前記男物かつら、めがね、口ひげ等を付けて変装のうえ、「堀田耕三、三九才」と氏名、年令を詐称して、同日午前七時二〇分発福岡行き日航三五一便定期旅客機の搭乗券を購入し、前記(4)ないし(6)の三個の鉄パイプ爆弾を入れたショルダーバッグ、(7)の鉄パイプ爆弾一個、ねずみ色および濃紺色の靴下(前同押号の六二、六三)に入れたビニール袋入りの無煙火薬約五四九グラムおよび約七八七グラムの二袋(前同庁外領号の三四の二および三五の二はそれぞれ残存火薬五三五グラム、七四〇グラム)、前記手製導火線六本、パラシュート一組、スコップ等を入れた前記スーツケースを、日航係員に対し手荷物として託送を依頼して右三五一便の荷物室に積み込ませたうえ、実包六発(同押号の五一、うち一発は試射ずみの薬きよう)を装填した前記拳銃一丁、拳銃用実包四二発(同押号の五五、うち二発は試射ずみの薬きよう、六四)、甲、乙、丙の三個の爆弾、黒色靴下(同押号の五六)に入れたビニール袋入り無煙火薬約六九五グラム(以下甲火薬という。前同領号の一四の二は残存火薬六八〇グラム)、同じく黒色靴下(同押号の五七)に入れたビニール袋入り無煙火薬約一四九グラム(以下乙火薬という。同領号の一五の二は残存火薬一三九グラム)、ビニール袋入り無煙火薬約八一〇グラム(以下丙火薬という。同領号の一六は残存火薬七九三グラム)、前記文書をはさんだペーパーホルダー一冊(同押号の一四)、細紐六本(同押号の一五、二四)、ゴム製覆面一個、ゴム手袋一双等を入れた前記手さげかばんを携帯して右日航三五一便ボーイング七二七―一九型旅客機(JA八三一九号、一二三人乗り、以下七二七型機という。)に搭乗し、操縦室に近い前から二列目の通路側である「2―C」席に坐り、同機は乗務員として機長加藤常夫(当時四七才)、副操縦士片瀬洋(当時三〇才)、機関士ロバート・ヘンリー・フオークナー(当時四九才)、アシスタントパーサー弘島圭子(当時二五才)ほか二名のスチュワーデスの計六名、幼児一名を含む乗客一二一名が搭乗し、右片瀬の操縦により、同日午前七時三五分ころ、羽田空港から離陸し、福岡空港に向けて飛び立つたが、間もなく弘島らスチュワーデスが乗客へのサービスのため準備を始めたころ、右手さげかばんを持つて機内前方の化粧室内に入り、ゴム手袋をはめ、かつらとめがねをとつてゴム製仮面をかぶり、前記拳銃をズボンの右前腹付近に差し込み、前記脅迫文書をはさんだペーパーホルダーを左手に持ち、前記手さげかばんを左腕にかけて機をうかがううち、同午前八時二分ころ、同機が名古屋市上空高度約八、五〇〇メートルにさしかかつたところで、前記弘島がお茶を運ぶため操縦室のドアを開けようとしているのをみるや、いきなり化粧室から出て右弘島の背後から同女を押すようにして右操縦室内に入り、ドアを閉めたうえ、右手に拳銃を構え、これを加藤機長らに向けながら「冗談ではない、本物だから気をつけろ。」などと言つて加藤機長に近づき、「これを読め。」と言つて前記ペーパーホルダーにはさんであつた脅迫文書を同人に渡してこれを読み上げさせ、右脅迫文書の文面からハイジャッキングであることを覚知した同機長をして、被告人の要求に応じなければ拳銃を発射されたり、爆弾を爆発させるなどされて同機が墜落するなどの重大な危険があり、乗客、乗組員を含め同機の安全のためには被告人の要求に応ずる以外にないものと抵抗不能の状態に陥れ、機内に設置されている日航専用の無線電話機(通称カンパニーラジオ)で同社大阪空港支店に右被告人の要求を告げるとともに、被告人から羽田空港に引き返すことの了解を得たうえ、事情を承知した東京航空交通管制部管制官の許可を得て、同午前八時一二分ころ、京都市上空高度約八、五〇〇メートル付近で、同機を左旋回させて羽田空港に向け引き返すのやむなきに至らせ、さらに、同機が愛知県河和上空付近に達したころから、右操縦室内において、右手さげかばんから甲、乙、丙の爆弾三個、丙火薬を取り出して、前記乗組員らに示し、機長に実物であることを確かめさせたうえ、右爆弾を機関士席の机や操縦席脇の計器盤の上などに置き、「一瞬のうちに爆発するから取扱いに注意しろ。」などと申し向け、機長の手に硝化綿を取らせて機関士をしてライター(同押号の四五)でこれに点火させて激しく燃え上がらせ、あるいは所携の拳銃の弾倉から実包を取り出して見せて拳銃が本物であることを示し、さらに実包四一発入りの箱を開けさせたり、手荷物引換証(同押等の四一)を見せて「荷物室の手荷物の中にもタイマーを仕掛けた大きな爆弾が入つている。その時間は言えない。」などと言つたり、また、組織の指令で行動しており、機内にも仲間がいるかのようなことを言うなどして機長ら乗組員に対する脅迫を続けたが、同午前八時二〇分ころ、同機が浜松市上空付近にさかかつたころ、機関士とのやりとから同機の機種に不審をいだき、副操縦士に一一月の国内線時刻表を見せられてはじめて一〇月までの時到表と異なり、同機が航続距離の長いダグラスDC八型機ではなく、国内線用の七二七型機であることを知つたことから、東京都下大島上空に向うころ、機長に対し、日航本部に二〇〇万ドルのほかDC八型の代替機と右機長らに代る乗組員四名を用意させるように無線で伝えさせ、右準備ができるまで空中で待機するよう命じたため、同機は同午前八時四二分ころから千葉県御宿上空で旋回しながら待機し、この間に着陸後の手順などを指示し、機長から燃料が不足して危険であることを理由に着陸許可を求められて、やむなく同午前一〇時三〇分ころに至つて着陸を認め、同午前一〇時六分ころ、右七二七型機を被告人の指示どおり羽田空港C滑走路に着陸させ、もつて、加藤機長ら乗組員を脅迫して抵抗不能の状態に陥れたうえ、ほしいままに航行中の航空機である右七二七型機の運航を支配し、
(二) さらに引き続き、被告人の指示により前記羽田空港C滑走路北端の誘導路に尾翼を海側に向けて駐機中の右七二七型機の操縦室内において、右加藤機長ら乗組員に対し拳銃を向け、同日午前一一時二〇分過ぎころ、所携の細紐(同押号の一五)で片瀬副操縦士の両手を縛つて乙爆弾を、フォークナー磯関士に対しても同様細紐で両手を縛つて丙爆弾を、機長には甲爆弾をそれぞれ持たせ、すでに同日午前八時一五分ころ、前記日航大阪空港支店からの同機ハイジャッキングの報を受けて、直ちに東京都大田区羽田空港二丁目一番一号日航オペレーションセンタービルディング内に、高木養根代表取締役副社長(当時六〇才)を本部長とするハイジャック対策本部およびその下に斎藤進専務取締役(当時六五才)を局長とする応急処理局を発足させていた日航に対し、機長を介して前記カンパニーラジオを通じ、繰り返し現金二〇〇万ドルとDC八型の代替機の準備を要求し、「急がないと爆発の時刻が迫つているので、荷物室に積んである二個の一〇キロ時限爆弾が危い。」「DC八型機の中に警察官が一人でもいたら爆弾を爆発させるか、誰かを射殺する。」などと甲し向け、右高木ら日航役員を脅迫して抗拒不能の状態に陥れ、同人らをして、係員らに命じ、株式会社東京銀行から借用した現金二〇〇万米ドルを代替機のダグラスDC八―六二型機(JA〇四〇号)に積み込ませて同日午後一時二八分ころ七二七型機の左横に駐機させ、同午後二時四〇分ころ、弘島らスチュワーデスに先導させて乗客を人質のため右DC八型機に乗り移らせようとしたが、被告人の意に反して旅客バス三台が乗客を連れ去つたため、やむなく、機長ら乗組員を人質として右八型機に乗り移らせることにして、同午後四時ころ、右手に拳銃を構え、加藤機長に甲爆弾を、両手を縛られたままの片瀬副操縦士に乙爆弾を、同様のフォークナー機関士に丙爆弾および甲、乙、丙の火薬三袋等の入つた前記手さげかばんをそれぞれ持たせ、一団となつて同午後四時三分ころ、右DC八型機内に乗り移ろうとしたが、あらかじめ同機内に潜んでいた警察庁警察官田村隆司らに取り押さえられて逮捕されたため、右金員強取の目的を遂げず、
第二 前記第一の犯行の際、前記七二七型機内および羽田空港で同機から前記DC八型機に至る間において、
一、治安を妨げ、かつ、人の身体、財産を害する目的をもつて、前記無煙火薬約一三二グラム入りの甲の鉄パイプ爆弾(直径約4.9センチメートル、長さ約14.5センチメートル、管体重量約七七〇グラム、前同押号の五二は管体の破片)、同火薬約四三二グラム入りの乙の鉄パイプ爆弾(直径約7.6センチメートル、長さ約17.0センチメートル、同押号の五三は管体、重量約一、九〇〇グラム、前同領号の四の二は残存火薬427.5グラム)および同火薬約一二九グラム入りの丙の鉄パイプ爆弾(直径約4.9センチメートル、長さ約14.8センチメートル、同押号の五四は管体、重量約七八〇グラム、同領号の五の二は残存火薬120.5グラム)を所持し、
二、法定の除外事由がないのに、
(一) 前記拳銃一丁(同押号の一二)を所持し、
(二) 前記拳銃用実包四八発(同押号の五一、うち一発は試射ずみの薬きよう、五五、うち二発は試射ずみの薬きよう、および六四)ならびに前記ビニール袋入りの甲の約六九五グラム(同領号の一四の二は残存火薬六八〇グラム)、同乙の約一四九グラム(同領号の一五の二は残存火薬一三九グラム)および同丙の約八一〇グラム(同領号の一六は残存火薬七九三グラム)の合計約一、六五四グラムの無煙火薬を所持し
たものである。
(証拠の標目)<略>
(弁護人の主張に対する判断)
一弁護人は、判示第一の行為につき、被告人は脅迫文書を機長に示した時点でわれにかえり、七二七型機の運航を支配し、二〇〇万ドルを強取する犯意を放棄したものであつて、加藤機長らの抵抗を不能の状態に陥れたことはないし、また本件航空機の運航を支配するに至つてもいず、また日航役員らに対する脅迫も反抗を抑圧する程度には至つていない旨主張するので、右の点について判断をする。
(一) まず、判示第一の(一)の航空機の運航支配の点について、弁護人が、被告人の脅迫行為は加藤機長をして抵抗不能の状態に陥れていないと主張する理由は、要するに、本件七二七型機が京都市上空で旋回を終え羽田空港へ向うまでに被告人が行なつた脅迫行為は、ピストルをだれとなく一人一人に向けるような感じで突き付けたことと、副操縦士や機関士と何か会話をしたこと、脅迫文書を読ませたことだけであり、加藤機長が被告人の要求に従つたのは、乗客の安全のためには犯人の言うとおりに従うということが一番いい方法だと自主的に判断した結果であり、畏怖して抵抗不能の状態に陥つたからではなく、その後爆弾三個を順次示すなどの脅迫行為がなされているが、これは旋回終了後のことであつて、被告人がこれらの行為を利して目的地の変更等運航に関する新らたな指示をしてはいないし、また着陸地点等の指示についても、加藤機長の意思を制圧する程の強度の脅迫は行なつていないのであつて、被告人は脅迫文書を示した時点ですでに犯意を放棄したものであるというにある。
ところで、航空機の強取等の処罰に関する法律第一条の航空機の運航支配の罪の要件である脅迫は、相手方の意思を制圧して反抗を抑圧するに足りる程度のものであることを要することことは勿論であり、本件において、運航支配の罪は京都市上空において、福岡空港への飛行を中止して羽田空港へ着陸すべく旋回を終了した時点において既遂に達し、その後着陸までは右の違法状態が継続しているものと解すべく、従つて、右の罪が既遂に達するまでの間に被告人が行なつた脅迫行為は、判示のとおりゴム製仮面をかぶり、操縦室に入つて加藤機長らに拳銃を向け、判示脅迫文書を読ませたことであつて、弁護人主張のように爆弾を示す等の脅迫行為はその時点以後のことに属するけれども、右のように仮面をかぶり、拳銃を向け、判示のような内容の脅迫文書を示すことが右法条にいう脅迫に該ることは極めて明白であつて、その結果本件において加藤機長ら乗組員が抵抗不能の状態に陥り、被告人の指示、要求に従う外なかつたものであることは、右脅迫の内容、程度や、証人加藤常夫(第三回)、同片瀬洋(第四回)、同弘島圭子(第四回)の公判調書中の各供述記載によつて明白である。なるほど第三回公判調書中には証人加藤常夫の「乗客の安全のためには犯人の言うとおりに従うことが一番だと思つた」旨の供述記載が存するけれども、航行中の航空機の機長が本件のような事態に遭遇した場合、何よりも乗客の安全をまず配慮することは機長に課された職責であり、加藤機長が右の点を強く意識したとしても、これをもつて同機長が抵抗不能の状態になかつたとの証左とすることはできず、むしろそれ故にこそ全く抵抗のできない状態にあつたものと解すべきが相当である。けだし、前掲各証拠によると、航行中の機内の操縦室において、拳銃を擬せられ、脅迫文書によつて爆弾の存在も告げられていて、同機長らとしては被告人の要求に従わなければ、拳銃を発射されたり、あるいは爆弾のこともあつて、乗客の安全のためには被告人の要求に従うのが一番だと判断したのであり、航行中の航空機であるという特殊状況下において、加藤機長らに被告人の要求に従うこと以外にとり得る手段・方法があつたとは到底認められないからである。もつとも、加藤機長らが被告人と雑談を交わしたりしている事実は証拠上これを認めうるけれども、これとても、犯人の気分を落ち着かせ、いらだつて危険な行為に出ないようにとの配慮によるものであつて、日頃のハイジャックに対する訓練に基くものであることが証拠上明らかであり、右の点をもつてしても前記認定を左右するに足りない。
(二) また、弁護人は、被告人が本件七二七型機の行き先を変更し、羽田空港に着陸するよう命令したり、指示したことはなく、羽田空港に引き返したのは加藤機長の自主的な判断によるものであるから、被告人がその運行を支配したことはない旨主張する。なるほど被告人が加藤機長らに対して口頭で羽田空港へ向けて進路を変えるように命じたことのないことは証拠上明らかであるけれども、前記脅迫文書には、「我々の目的地はキューバである。……コースはバンクーバー市、メキシコ市で燃料補給し、キューバに政治亡命するものである。……要求が入れられるならば、乗客全員およびスチュアーデスは……東京空港で直ちに釈放する。」旨記載されていること、第三回公判調書中の証人加藤常夫の供述記載によると、同機長は、右脅迫文書の内容からすると、そのまま飛びつづけることは反対の方向に飛ぶことになつて犯人の指示に反することになるので、犯人の指示に従うために引き返すことにしたもので、犯人の指示に従うというのが第一で、その他、羽田空港へ引き返すについては二〇〇万ドルを用意するのも羽田空港がよいと思つたし、爆弾が破裂するような事態になつた時も羽田空港がよいということも思つたというのであり、そして、羽田空港へ行くことをあらためて被告人に了解を求め、被告人もこれに了解を与えたので、判示のとおり管制官の許可を得て羽田空港へ引き返したものであることが認められること等に徴すると、加藤機長が京都市上空付近で七二七型機を旋回させて羽田空港へ向つたのは、被告人の脅迫行為によつて抵抗不能の状態に陥つた同機長が被告人の要求に応ずるため、あるいは事態の推移から羽田空港へ引き返すことを考え、あらためて被告人にその旨を了解を求め、被告人もこれに了解を与えたことによるものであつて、被告人の一連の行為によつて羽田空港へ引き返すことを余儀なくされたものであることが明らかであるから、結局本件は被告人がその運航を支配したものに該ると解するのが相当である。
(三) また、弁護人は判示第一の(二)の強盗未遂の行為につき、被告人の脅迫行為は加藤機長を抵抗不能の状態に陥れたものではないから、高木副社長ら日航役員に対する脅迫もその反抗を抑圧する程度に至つていないと主張するけれども、加藤機長が被告人の脅迫行為により抵抗不能の状態にあつたことは前記認定のとおりであるほか、判示のような一連の脅迫行為が相手方の反抗を抑圧するに足るものであることはきわめて明白であり、また証人斎藤進(第五回)、同小田切春雄(第六回)の公判調書中の各供述記載によれば、高木副社長、斎藤専務ら日航役員は、その結果、乗客や乗務員の安全を確保するためには、被告人の要求を聞き入れるほかないと判断し、急拠二〇〇万米ドルを用意するとともに、代替機のDC八型機およびその乗務員を選定し、必要な食料も準備してDC八型機を被告人の要求どおり、バンクーバー、メキシコ市経由キューバに飛ばす準備を整え、経由地およびキューバ政府に対しては外務省から着陸の許可を求める手続がなされたとの事実も認められるのであつて、高木副社長ら日航役員は、本件乗客、乗務員を七二七型機内に閉じ込め、人質としたうえでの判示のような被告人の脅迫行為に対して、乗客、乗務員の安全のためには全く抵抗することができず、米ドル二〇〇万ドルと代替機を用意して被告人の要求に従うほかなかつたものであることが明らかである。したがつて、被告人の脅迫行為が高木副社長ら日航役員の抵抗を抑圧するに足るものでなかつた等とは到底言うことはできない。
(四) なお、弁護人は、被告人において、航空機の運航支配、金員強取の犯意を放棄した旨を主張し、被告人も第一回公判における意見陳述において、脅迫文書を用意して操縦室に入つてこれを見せた時に、違う航空機に間違つて乗つてしまつたことに気付き、その時点で計画外のことになつてしまい犯行の意図を放棄し、それ故その時点からは自分から主導的に動いたことはない旨陳述しているが、被告人は、第一〇回および第一一回公判調書中における各供述部分、昭和四八年七月九日付上申書においては、七二七型機に搭乗する前に飲んだウィスキーの酔いがまわり、意識不明の状態で操縦室に入り、はつと気がついた時には脅迫文書を機長に渡しており、予定外の行動に出ていたことを知つて驚き、主観的にはそれ以上の行為に及ぶことを中止したものである旨、重要なる部分において供述を変更していてその趣旨一貫しないのみならず、前掲各証拠によると、被告人が加藤機長に脅迫文書を読ませた後も、判示のように拳銃が本物であることを示したり、爆弾を取り出して「一瞬のうちに爆発するから取扱いに注意しろ。」と言つたりしたほか、手荷物引換証を見せて「荷物室の手荷物の中にもタイマーを仕掛けた大きな爆弾が入つている。その時間は言えない。」と言つたりして機長らに対する脅迫を続け、さらに判示のように搭乗機が間違つていたことに気付いた後は、日航本部に二〇〇万ドルのほかDC八型の代替機と乗務員を用意するよう伝えさせているほか(被告人は搭乗機が間違つているのに気がついたのは加藤機長に脅迫文書を渡した時点であると供述しているけれども、その時点は、判示のとおり京都市上空付近で旋回を終え、浜松上空付近にさしかかつたころであること証拠上明白であつて、被告人の右供述は措信できない。)、二〇〇万ドルと代替機が用意できるまで空中待機を命じ、そのため本件七二七型機に午前八時四二分ころから同一〇時三〇分ころまで御宿上空を旋回しながら空中待機を余儀なくさせ、また着陸に際しても、C滑走路北端の誘導路に尾翼を海側に向けて停止するよう指示し、また着陸後も判示のように副操縦士、機関士を縛つたり、執拗に脅迫行為を繰り返していること等、一連の犯行の経緯に徴し、犯意を放棄した旨の被告人の前記各供述は全く荒唐無稽の遁辞と評する外はなく、到底採ることはできない。
以上のとおりであるから、弁護人の右各主張はいずれも理由がなく採用しない。
二次に、弁護人は、被告人はその家系に精神病の遺伝的負因を有し、本件犯行当時、強度の不眠症に加えて、七二七型機に搭乗する直前ウィスキー約一合(0.18リットル)を飲んで酩酊し、精神錯乱の状態にあつたもので、心神喪失若しくは心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、右の点について判断する。○○○○○に対する診療記録および諸検査記録、○○○○に対する診療記録および諸検査記録、○○○○○に対する診療記録および諸検査記録、鑑定人中田修作成の精神鑑定書、鑑定証人中田修の証言によると、被告人の兄○○○、妹○○○はいずれも精神分裂病、弟○○はうつ病にそれぞれ罹患しているほか、父方、母方とも性格異常と考えられる者が多数あつて、被告人の家系には精神病の負因が濃厚に認められ、精神分裂病と躁うつ病の負因が共存していて、これが被告人の人格の形成に大きな役割を果たしてはいるが、被告人は発揚型、自己顕示型、情性稀薄型の精神病質者であつて、本件犯行当時あるいはそれ以前から精神病に陥つていたことはないことが認められる。
弁護人は、不眠症と飲酒の影響を主張するけれども、不眠症の点につき、被告人の検察官に対する一一月八日付供述調書中に「私は、アメリカの大学時代から夜働いていたため不眠症勝ちであつたのですが、今から三、四カ月前からこのハイジャックの研究をしているうちよく眠れない状態もあつた」旨の供述記載があり、当公判廷においても、三〇年以上にわたつて二日も三日も眠れない強度の不眠症にかかり、ことにハイジャックを研究しているうちにひどくなつた旨述べているが、被告人の司法警察員に対する一一月一七日付供述調書中には、犯行前夜は「午後九時一〇分に床につき充分睡眠をとりました」旨の供述記載があつて、果して被告人が不眠症にかかつていたか否か、若しそうであつたとしてもその程度については必ずしも明確とは言い難く、また飲酒の点についても、前掲各証拠によると、搭乗前被告人はサントリーウィスキーの小びん一本を飲んだことはこれを窺うことができるけれども、被告人の司法警察員に対する一一月七日付および同月一三日付各供述調書によれば、被告人はもともと酒好きで相当強い方であつて、この程度のウィスキーを飲んでものどが湿つたという程度で、酔いは全然感じなかつたというのであり、もつとも被告人は当公判廷において、酩酊して意識がなくなり、操縦室に入つて一、二分して脅迫文書を機長に渡したときに、にわかにはつと気がついた旨供述しているけれども、前記証人加藤、同片瀬、同弘島の各供述記載、フォークナーの司法警察員に対する供述調書によつても、被告人が飲酒酩酊していた形跡は全くなく、さらに、前記精神鑑定書、鑑定証人中田修の供述によれば、被告人に不眠症があり、これに飲酒の影響が加わつていたとしても、判示のような犯行状況からみて、その程度は、意識障害を生ずる程のものではなく、本件犯行当時、被告人は平素の状態と特に異なる状態にあつたものではないことが認められるのであつて、本件犯行の態様からみても、本件犯行が酩酊による犯行などとは到底考えられず、従つて被告人の前記供述は到底採用の限りではなく、以上の諸事情を併せ考えると、本件犯行当時、被告人が事理弁識能力および右弁識に従つて行動する能力を喪失し、若しくは右の能力が著しく減弱していたとは到底認められない。従つて弁護人の右主張も理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示第一の行為のうち運航支配の点は航空機の強取等の処罰に関する法律一条一項に、同強盗未遂の点は刑法二四三条、二三六条一項に、判示第二の一の行為は爆発物取締罰則三条に、判示第二の二の(一)の行為は銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、判示第二の二の(二)の行為は包括して火薬類取締法五九条二号、二一条にそれぞれ該当するところ、判示第二については、一個の行為で三個の罪名にそれぞれ触れる場合であるから、いずれも刑法五四条一項前段、一〇条により、判示第一については重い運航支配罪の刑により、判示第二については最も重い一の罪の刑によりそれぞれ処断することとし、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の運航支配罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、後記のような情状を考慮のうえ、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二〇年に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中四〇〇日を右刑に算入し、いずれも当庁に押収してある、もしくは東京地方検察庁外領置にかかる、(1)拳銃一丁およびその従物である拳銃ホルダー一個(昭和四八年押第二九〇号の一二および三六)、(2)拳銃用実包四八発(同押号の五一、五五および六四。うち三発は試射ずみの薬きよう)、(3)鉄パイプ爆弾六個((イ)同押号の五三の管体および昭和四七年東京地方検察庁外領置第二、〇八四号の四の二の残存火薬427.5グラム、(ロ)同押号の五四の管体および同領号の五の二の残存火薬120.5グラム、(ハ)同押号の五八の管体および同領号の二四の二の残存火薬375.3グラム、(ニ)同押号の五九の管体および同領号の二五の二の残存火薬359.8グラム、(ホ)同押号の六〇の管体および同領号の二六の二の残存火薬109.7グラムならびに(ヘ)同押号の六一の管体および同領号の三〇の二の残存火薬1,139.8グラム)、(4)ビニール袋入り無煙火薬五袋合計二、八八七グラム((イ)同領号の一四の二の残存火薬六八〇グラム、(ロ)同領号の一五の二の残存火薬一三九グラム、(ハ)同領号の一六の残存火薬七九三グラム、(ニ)同領号の三四の二の残存火薬五三五グラムおよび(ホ)同領号の三五の二の残存火薬七四〇グラム)はいずれも判示第一の各犯行の用に供したものであるから同法一九条一項二号により、なお、右(3)の鉄パイプ爆弾中(イ)および(ロ)の二個は判示第二の一の、(1)の拳銃一丁および拳銃ホルダー一個は判示第二の二のの、(2)の拳銃用実包四八発および(4)の無煙火薬中(イ)ないし(ハ)の三袋は判示第二の二の(二)の、各犯罪行為を組成したものでもあるから同条項一号にもより、右はいずれも被告人以外のものに属しないものであつて同条二項の要件を充足するので、いずれもこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、現金二〇〇万米ドルを強奪しようとする私欲に発し、日航国内線の旅客機をねらつて米国からはるばる日本に渡航し、敢行されたハイジャック事件であるが、いわゆるハイジャッキングは、多数の乗客、乗組員を乗せて航行中の空中における航空機内というきわめて特殊な環境の下で、乗客、乗組員を完全に人質の状態において行なわれるものであつて、航行の安全に全精力を注がざるを得ない乗組員らにとつては、犯人に抵抗することは航行の安全を阻害する危険があるためほとんど不可能であり、そのため犯人は容易にその目的を遂げることができる強力なる犯行手段であるとともに、今や世界における重要なる交通手段となつている航空輸送の秩序と安全に重大なる脅威と侵害を加えるものであり、また、これによつて乗客、乗務員に対しては目的外の遠隔の地に連れ去られることや墜落その他の事故に対する高度の不安、恐怖その他の精神的苦痛を与えるばかりでなく、乗務員らが極度の焦慮、疲労に陥り、そのため墜落その他の事故を惹起する危険を生じるおそれもあるのであつて、このような強力かつ危険にして反道徳的な手段に訴えるハイジャッキングに対しては、世界的に強い社会的非難が加えられていることは周知のとおりである。
このようなハイジャッキングは数年来世界的に頻発し、しかも国際的な規模で行なわれることが多いことから、その防止が国際的な関心事となつており、その防止のための国際協力について、昭和三八年九月「航空機上で行なわれる犯罪及びその他ある種の行為に関する条約」いわゆる東京条約が締結されたほか、国連総会においても、昭和四四年一二月「各国は、航行中の民間航空機に対する暴行・脅迫による強奪・不法干渉・不法支配等の行為に関し、効果的なあらゆる国内法上の措置をとること」等を内容とする決議二五五一号が採択されており、わが国も昭和四五年右東京条約を批准するとともに、航空機の強取等の処罰に関する法律等を制定し、関係国内法が整備されるに至つているものである。世界的な要望であるハイジャッキングの防止のためには刑法のみが唯一の有効な手段では勿論あり得ず、空港における予防、警戒措置等の整備も併せ必要であることは勿論であるけれども、右航空機の強取等の処罰に関する法律の適用に当つては、前記のようなハイジャッキングの特質、右法律制定の経緯、立法の趣旨を十分に考え、慎重に被告人の処遇を決しなければならないものと考える。弁護人は、右法律は過激な政治的目的を達成しようとする狂信的政治犯処罰を本来的な目的とするものであるから、本件のような犯罪形態に対して右法律を適用するに当つては右の点を考慮すべきであると主張するけれども、ハイジャッキングは、政治的目的に出ると、将又、私利私欲に出るとにかかわらず、前記のような犯罪の特質に何ら変りはないのであつ、特に私利私欲のためにかかる犯罪の手段に訴えることは、きわめて卑劣かつ反道徳的な行為と言わねばならないから、右法律が政治犯処罰を本来的目的とするものである旨の弁護人の主張には到底賛同することはできない。
そこで以下本件の情状について検討するに、
(一) 被告人は判示のような経緯から二〇〇万米ドルを強奪するという利己的目的のために本件を敢行したものであつて、しかも、被告人は日本国籍を有するものの、日系米人と結婚して生活の本拠を長く米国ロスアゼルス市に置き、米国内に居住していたものであり、研究の末、日航国内線の航空機をハイジャックすることが比較的容易であり、二〇〇万米ドルという多額の金員を入手することも容易であるとして、日航国内線をねらつて米国から日本に渡航し本件犯行を敢行したものであること、
(二) 被告人は本件を敢行するため判示のように長期にわたつて慎重に、綿密かつ周到な計画を立て、万全の準備を整えて本件犯行に及んだもので、被告人の司法警察員に対する一一月一九日付供述調書中の「紙一枚、針金一本、それぞれ充分考えた末、買つてハイジャックに使つている」旨の供述記載もあながち誇張とは思われず、本件はきわめて高度の計画的犯行であると言わざるを得ないこと、
(三) 犯行の手段も判示のとおり実包を装填した拳銃およびその実包を携え、爆弾三個および火薬を操縦室に持ち込み、その外機内荷物室にも爆弾四個等を積み込み、これらをもつて乗務員らを脅迫するなどきわめて危険かつ悪質と言わざるを得ないこと、
(四) 犯行の態様も、被告人は、午前八時二分ころ名古屋市上空付近において本件七二七型機の運航の支配の実行に着手し、京都市上空付近で同機を旋回させて午前一〇時四六分ころ羽田空港に着陸させ、その運航を支配したが、着陸後も午後二時四〇分ころまで乗客一二〇人を右七二七型機内に閉じこめ、この間右乗客らは昼食もとることができず、多大の精神的、肉体的苦痛を与えられたこと、午後二時四〇分すぎころ乗客全員が解放されたのも、老人と子供七、八人を除いては被告人の意思に基くものではなく、被告人は右七、八名の老人、子供を除くその余の乗客を代替機のDC八型機に乗り移らせようとしたが、警備の警察官がバス三台に分乗させて強引に連れ去つたものであり、なお機長ら乗組員はその後も解放されず、午後四時三分ころ被告人が逮捕されたことによつてようやく解放されたものであつて、乗務員に与えた精神的、肉体的苦痛もまた大きなものがあつたこと、
(五) 被告人は、バンクーバー、メキシコ市を経てキューバに飛ぶという当初の計画に従つて国外に脱出することはできなかつたけれども、これは、被告人が長距離用のDC八型機と間違えて七二七型機に搭乗したため、代替機DC八型機に乗り移る必要が生じ、その機会に被告人の逮捕をねらつていた警察官に逮捕されたことによるのであつて、本件証拠によると、若し当初からDC八型機に搭乗していたならば、計画どおり二〇〇万米ドルを強奪したうえ、バンクーバーへ向け脱出に成功していたものと十分に考えられること、また被告人が逮捕されたのは、第六回公判調書中の証人田村隆司の供述記載によると、右田村警部ら警察官の沈着かつ勇敢な挺身的行動によるものであつて、被告人が当公判廷で供述するように被告人が自ら覚悟して逮捕されたものではないこと、
(六) 司法警察員田村隆夫ほか一名作成の飛行場閉鎖状況報告書および飛行場閉鎖で各航空会社の航空機が影響を受けた状況についての捜査報告書、奥田新(昭和四七年一一月七日付、甲196)および横尾雄三の司法警察員に対する各供述調書、高木養根作成の上申書によれば、被告人の本件犯行により、羽田空港は当日午前一〇時四三分ころから午後四時三〇分ころまで全滑走路が、その後翌七日午前二時ころまで滑走路の一部、B滑走路が閉鎖され、このため同空港を利用する各航空会社の国内線、国際線あわせて一五二便の欠航、一五便の着陸目的地変更、その他多数の遅延が生じてその機能を著しく阻害され、さらに、日航では借用の二〇〇万米ドルに対する利息一一万六、〇〇〇円余を東京銀行に支払わなければならなかつたほか、前記空港閉鎖により各航空会社の受けた搭乗者のホテル代等の直接損害および旅客収入減の間接損害は合計一億三、二〇〇万円にのぼるものと推計されること、
(七) 本件が白昼衆目を集める中で敢行され、国民一般の耳目を聳動させ、旅客、乗務員らの家族ばかりでなく、社会一般に与えた影響も著しいものがあつたと考えられるほか、外務省を通じてキューバ等関係各国に着陸許可の要請がなされたことなどもあり、国際的影響も無視できないこと、
(八) 当公判廷における被告人の弁解、供述などによると、被告人は必ずしも真摯に本件を反省し、悔悟しているとは認めがたいこと、
以上のような諸事情が認められるのであつて、右のような本件犯行の動機、計画性、犯行の手段、態様、各航空会社に与えた損害、内外に及ぼした影響、犯行後の状況等に徴すれば、前記のような経緯から二〇〇万米ドルを強奪して国外に脱出するという被告人窮極の目的を達し得なかつた点を考慮しても、被告人は強い刑法的非難を免れず、被告人の本件刑責はきわめて重大であり、相当の刑罰はこれを甘受しなければならないものと考える。これを弁護人主張のように単に「アメリカ帰りのひようきん者の茶番劇」として軽視することは到底できない。
そこで検察官は、航空機の強取等の処罰に関する法律第一条所定の法定刑中最高刑である無期懲役を求刑しているけれども、さらにつぶさに本件を検討すると、被告人が本件七二七型機の運航を支配した距離、時間、および乗客、乗務員を機内に閉じ込めた時間はいずれも決して短いものであつたとは言えないけれども、なお諸外国における事例にみられるようにきわめて長時間、長距離にわたつているものとも必ずしも考えられず、結局判示のような経緯によるものではあるが羽田空港でことは決着し、国外に及ぶことなく終つていること、そして同時にまた二〇〇万米ドル強奪も未遂に終つていること、被告人は逮捕される際拳銃の引金を引いた事実はあるが結局発砲に至らず、その他には拳銃を発射したり爆弾を爆発させたりしたこともなく、乗客、乗務員には幸いにも一人の負傷者も存しなかつたこと、乗客であつたフォルクハート・インゲンホフ、長谷尾義刀、永淵規矩朗、須賀五男、石田昌吉の司法警察員に対する各供述調書によると、加藤機長ら乗務員の冷静、適切な対応措置によるものではあるが、乗客の不安、恐怖も特に強調しなければならない程には高度のものではなかつたと認められること、なお右の点については、被告人は乗客に対して直接危害を加えようとしたり、畏怖させるような行動には全然出ていないということもあること、以上のような諸点もまた看過することはできず、これらの諸事実に徴すると、被告人の本件犯行が、前記法条における運航支配の罪に該る事件のうち、最も重い犯罪の類型に属するものと断ずるにはいささかの躊躇を感じざるを得ないのであつて、被告人にはこれまで格別の犯罪歴も存しないということ以外には取り立てて酌量すべき情状も見当らず、また、前記(一)ないし(ハ)の諸事情や前記法律制定の経緯、立法の趣旨等を十分考慮しても、被告人に対して本件における最高刑である無期懲役を科するしかないものとはにわかに断ずることはできないというように考えられ、以上諸般の情状を勘案し、結局被告人に対しては懲役二〇年の刑が相当であると思料する。
よつて、主文のとおり判決する。
(佐々木史朗 上原吉勝 龍岡資晃)